夢や憧れを実現するための方法は1つじゃない!

スペシャル

マンガ家 山科ティナさん

悔しさをバネに粘り強く挑み続け、2つの夢をつかんだマンガ家の山科ティナさん。
彼女にマンガ家デビューのきっかけや壁の乗り越え方について聞いてみた。

取材・構成/奈良崎コロスケ
写真/まつたに桜

中国で日本のアニメにハマる

小さいころは両親が忙しいこともあって、中国の祖父母に9歳まで預けられていました(山科さんのお母様は中国人)。びっくりされるかもしれませんが、中国ではおじいさんおばあさんが子育てをするのは珍しいことではなかったので。

中国でも日本のアニメはたくさんテレビなどで流れていて「名探偵コナン」、「NARUTO -ナルト-」、「カードキャプターさくら」、「フルーツバスケット」とか、大好きでよく観ていました。もちろん、中国語の吹き替え版です。ただ、そういった作品の原作として、“マンガ”というものがあるということは知らなくて。日本に移住してから、好きなアニメの原作コミックスを読むようになりました。まだ日本語がつたなかったので、マンガでいろいろな言葉を覚えられたことはよかったですね。

中国で生活していたころから、好きなアニメの絵を見よう見まねで描いたりはしていたのですが、日本に来ていろいろなマンガに触れるうちに、自分でも描いてみたいと思い始めました。中国にいたころ、一番好きなアニメが「フルーツバスケット」だったこともあって、自分で描くのも少女マンガでした。『りぼん』や『別冊マーガレット』に読者投稿ページがあるんですけど、そこにマンガを描くうえでの情報がいろいろと載っているんです。「つけペンは世界堂(新宿に本店のある文具・画材の専門店)に売っている」みたいな。それを読んで、小学6年生のときに親に頼んで道具を買ってもらいました。ただ、使うのがもったいなくて、しばらくはずっと鉛筆やボールペンでネームのようなものを描いていました (笑) 。

16歳で待望の商業誌デビュー

美大に入りたいという考えは中学時代からあったので、美術予備校が近くにある都立新宿高校に進学しました。「大学のことも視野に入れた高校を選んだほうがいい」という親からのアドバイスがあったので。ただ高校に入学して、すぐに予備校に通ったわけではないんです。マンガ家への憧れがあったので、高校1年生のころは作品を完成させることに集中していました。一生懸命描き上げて、夏には初めて集英社の『別冊マーガレット』編集部に持ち込みました。編集者の方には絵や構成のことなど細かい部分を指摘されはしたんですけど、正直、話していた内容よりも緊張していっぱいいっぱいだった記憶のほうが強いです。結局その作品で「別マMANGAGP」の佳作をとることができて、その年の冬には『ザ・マーガレット』に掲載されました。

私はもともとガリ勉タイプだったので、少女マンガ誌の読者投稿作品などを読み込んで、自分がやってしまいそうなダメな部分に黄色いマーカーで線を引いたりして、賞を獲るための研究をしていました。モチベーション面では、当時「少年ジャンプ」で連載されていた「バクマン。」(2人の少年が原作と作画でタッグを組み、人気マンガ家をめざす物語)にも、めちゃくちゃパワーをもらいました。主人公の最高と秋人は私と同世代だったので。

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