國學院大學/私のイチオシ
直接役に立つからではなく、人生を豊かにするために学ぶ
※掲載内容は取材時のものです
コレ知ってる?
こんな英語のジョークがあります。
息子:Should I eat fried chicken with my fingers?
父親:No, you should eat your fingers separately.
私のカナダ人の先生、キエラン・イーガン氏の書いたものから拝借したジョークです。
ご存知、前置詞のwithを使ったジョークです。息子は「~を使って」という意味のwithで聞いているのに対し、父親は「一緒に」という意味の方で答えているところがミソです。
英語は将来役に立つから学ぶもので、だから、つまらなくても勉強するものだと堅苦しく考えていないでしょうか。しかし、英語を通じて何か(音楽、映画、旅行、読書など)を楽しんだり、英語そのものをおもちゃにして、言葉という道具がいかによくできているかに感心したりすることもできます。言語とは、事実を論理的に述べるだけではなく、ジョークをいったり皮肉をいったり、音そのものを味わったりもできるものです。英語に限らず言語を勉強することは、世界や機会を広げ、また、勉強のプロセスそのものを楽しくしてくれるものだと思います。
この学問のココがおもしろい
コンピュータの使い方や英語を学ぶのは、将来役に立つからだといわれることがあります。つまり「実用」です。しかし、学校で習う教科は、必ずしも役に立つから学んでいるだけではないようです。現代において、和歌でラブレターを書く人はいないし、高名な哲学者であるロックやルソーの思想を知っていても選挙の参考にはなりません。これらを学ぶのは、直接的に役立つからというよりも、知っていることで世界や人間をより広く深く知り、人生がより豊かになるからではないでしょうか。あえていうならば「教養」です。私は教育学(教育の歴史と思想)の研究を通じて、誰もが中学・高校生の頃に一度は思った「なぜ英語を(数学を、歴史を……)勉強しなくてはいけないの?」という疑問に取り組み続けています。また、同じことを学ぶにしても、もっと楽しみながら学べる方法、学ぶプロセスそのものを味わえる方法がないか、についても考えています。
キャンパスのお気に入りスポット
入学後にとても大切になるところとして、教務課の窓口を挙げたいと思います。大学は高校までとは違って、決まったカリキュラムに沿って先生が授業をしてくれるのをただ待っていてよいところではありません。自ら主体的に学びをつくり上げていく場所です。もちろん所属学科ごとにカリキュラムは用意されていますが、大枠の中で「何のために何をどのように学んでいくか」を自分で決めていかなければなりません。したがって、授業で指導に当たる教員は確かに大切ですが、同時に、自分の学びをつくり上げるためのルールや条件についてアドバイスをくれる教務課の存在も、同じくらい大切です。オープンキャンパスに参加した際には、個別相談ブースにも足を運び、職員の方の説明や対応にも注目してみてはいかがでしょうか。